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    手塚治虫

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    1: エジプシャン・マウ(北海道) 2013/06/26(水) 20:34:29.77 ID:USmXp73X0 BE:2092673838-PLT(12000) ポイント特典
    小5の手塚治虫さん作「火星人来る!!」 紙芝居の全貌明らかに

    小学5年の手塚治虫さんが描いた紙芝居は、光と影が巧みに表現されている
    no title

    手塚治虫さんが描いた紙芝居の1枚。遠くに広がる街の遠近感を見事に表現している
    no title


     漫画家の手塚治虫さん(1928~89年)が、小学校5年の頃に描いたとみられる紙芝居の全貌が初めて明らかに
    なった。小学館クリエイティブから21日に刊行された『手塚治虫 創作ノートと初期作品 新発見編』に全編を収録。
    手塚プロダクション(東京)は「小学生時代の豊かな想像力が伝わってくる貴重な資料。非常にきれいな作品なので
    多くの方に見てほしい」と話している。

     紙芝居のタイトルは「火星人来(きた)る!!」。B6判のわら半紙にクレヨンで描かれており、全部で37枚。
    宝塚市立手塚治虫記念館(兵庫)の平成6年の開館を前に、手塚プロが手塚さんの自宅で展示用の資料を
    探した際に発見した。このうち数枚は、同記念館のカタログなどで紹介されていたが、全点が公開されたのは
    今回が初めて。

     手塚さんが小学生の頃に描いたクレヨン画で現存する作品は少なく、一つの話としてまとまった形になって
    いるのは、この紙芝居だけだという。漫画やイラストを描いたわら半紙百数十枚がまとめてとじられた中から
    見つかり、ページ番号の書き込みもなかったが、絵の内容からストーリー展開を推測して手塚プロが再構成した。

     ストーリーについて、手塚プロの森晴路(はるじ)資料室長は「火星人が地球にやってきて人間を襲う筋立てだろう。
    火星の都市も舞台になっているようだ」と推測。「家の中から漏れる光の表現や火星の街を描いた鮮やかな色遣いが
    見事で、小学生の頃からの際立った画才が分かる」と話す。

    http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/entertainment/comic/665059/
    >>2に続く

    【【衝撃】 「手塚治虫」 が小5の時に書いた絵本が 凄 す ぎ る 件 wwwwwwwwwwwww】の続きを読む

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    1: yomiφ ★ 2013/05/28(火) 23:15:55.11 ID:???
    no title


    ■省略が生んだアトムの世界

     手塚治虫の人気キャラクターが、ブラウン管の中で動き回る。昭和38年1月1日、
    フジテレビで放送が始まった日本初の連続テレビアニメ「鉄腕アトム」は、多くの子供たちの
    心をわしづかみにした。動くアトムの誕生は、50年にわたって独自の進化を遂げ、今や
    「クール・ジャパン」の代表格となった日本のテレビアニメの幕開けだった。

    ■常識破りの手法

     「『アトム』はアニメーションではなく、アニメです」

     手塚は虫プロダクションのスタッフの前でそんな持論を語った。劇場用アニメが
    「まんが映画」と呼ばれていた時代だ。「アニメーションをただ略しただけでは?」。
    スタッフの一人で、その後「タッチ」や映画「銀河鉄道の夜」などを監督した杉井ギサブローさん(72)は、
    手塚の真意が分からなかったという。

     東映動画(現・東映アニメーション)を経て虫プロ設立に参加した杉井さんは、
    幼少期にディズニーの「バンビ」を見てアニメ制作を志した。手塚は大のディズニーファン。
    「すごい作品を作るはず」という期待とは裏腹に、手塚は常識破りの手法を次々と採用した。
    セル画の枚数を減らすため、背景や動画を使い回したり、口や足といった体の一部だけを
    動かしたり…。手塚が「アトム」で目指したのは、米国でも試行されていた
    「リミテッド・アニメーション」の省略と合理化だった。

    ■新旧交差の現場

     「一番はじめのころは、30分を7人くらいで作っていた。東映動画では200人ほどで
    描いていた時代。驚異的なシステムだった」

     セル画の多い「フルアニメーション」を経験してきた杉井さんは「紙芝居じゃないか」と困惑した。
    しかし、完成した1話を見て感想は一変する。「物語性を前面に出せば、動かなくても面白い。ショックだった」

     最高視聴率は40%超。おもちゃや文具といった関連商品が次々と発売され、他社も
    相次いでテレビアニメに参入するきっかけとなった。「手塚先生は『アトム』を“発明”し、
    日本に『アニメ』という産業を作り上げてしまった」と杉井さんは振り返る。

     「手塚先生の本性は漫画家でもアニメ制作者でもなく、物語作家。物語を伝えることに
    大きな興味があったからこそ、思いついた手法でしょう」。「機動戦士ガンダム」シリーズの
    生みの親、富野由悠季(よしゆき)さん(71)はそう語る。

     富野さんも昭和39~41年、アトムの演出などを手がけた一人だ。外部プロに作画を
    注文する作業も担当した。外注先には、日本初のフルセル画アニメ「くもとちゅうりっぷ」を
    手がけ、「日本のアニメーションの父」と呼ばれる政岡憲三といった大御所もいた。

     「大アニメーターに向かって、手塚先生がアトムの描き方を講義する。僕はその橋渡し役ですから、
    ある意味ひどい目にあった。しかも、できあがってきたものは極めてクラシックで、
    リミテッドの方法と根本的に違う」と、当時の困惑を懐かしそうに語る。

     実写志望だった富野さんは「アトム」の簡略表現に違和感も覚えていた。
    「外注で『古くていい仕事』を見ることができたのは大きかった。『物語がしっかりしていれば
    動かなくてもいい』と思う一方で、同じ漫画絵を動かすにしても、これだけ幅があると知った」

     独立してアニメーターとして活躍したり、制作会社を作った虫プロ出身者は多い。
    新旧文化と技術が交差する「アトム」の現場は、創造的な“学舎”でもあった。
    >>2へつづく)

    http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/130528/ent13052807580001-n1.htm

    【【話題】アニメは手塚治虫の「発明」だった】の続きを読む

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